Kawazu Project presents
「満すみ」
朽ち果てつつある日本の遊郭跡を後世に残したい!
大阪の歓楽街、飛田新地の外れにたたずむ「満すみ」。公娼制度が在りし頃、大勢の娼妓を抱える満すみは刹那の快楽を求める客で賑わいを見せました。それから半世紀以上が過ぎた今、役割を終えた満すみは静かに時を刻んでいます。
映画『吉原炎上』や週刊少年ジャンプで連載された「鬼滅の刃」など遊廓をテーマにした作品は数多くありますが、売春防止法が完全施行された1958年以降、遊廓と呼ばれた場所の多くが姿を消しました。その中にあって、建物の傷みこそ激しいものの、満すみには往事の賑わいと遊廓建築の痕跡が随所に残っています。
この元遊廓物件は1929(昭和4)年に建てられ、1958(昭和33)年の売春防止法完全施行後は「満すみ」という屋号で、飛田新地に特有の「料亭」として風俗営業を続けていました。1990年代後半に廃業した後は、空き家のまま放置されております。長年、空き家として風雨にさらされた結果、建物の老朽化が進んでおり、いつ解体されてもおかしくありません。
もっとも、一歩中に足を踏み入れれば、大正から昭和初期にかけて、西洋文化と日本文化が融合した時代の妓楼建築の特徴が至るところに遺されています。
例えば、1階にあるバーカウンターを併設した空間。満すみが建てられた昭和初期は古めかしい遊廓建築よりもモダンな西洋建築が好まれていた時代です。遊び方も、江戸時代は茶屋で遊興した後に遊女と妓楼に上がるという形が良しとされていましたが、大正時代になると、女給のいるカフェが登場するなど、性サービスのコンビニエンス化が進みました。満すみに併設されたダンスホール然とした空間はその時代の名残。ここで客と女性が踊り、お酒を飲んだ後に座敷に上がったのでしょう。
満すみからは当時の感染症対策も見て取れます。
飛田遊廓が開発された大正から昭和初期にかけて、公衆衛生上の脅威は肺結核でした。その感染リスクを少しでも減らすため、飛田遊廓の建物には中庭が設けられました。日中、中庭に太陽の光が当たることで上昇気流が発生します。その上昇気流を利用して、室内の空気を上空に逃がしていたのです。
このほかにも、満すみの内部からは結核にかかったと思われる女性が体温を記録したメモ、大阪新聞の4コママンガの切り抜き、高級時計を買った際の割賦支払いの契約書など、この場所で暮らしている経営者や女性たちの生活の痕跡が遺されていました。
満すみ写真集『House of Desires』
本プロジェクトでは、江戸時代から続く遊廓の歴史や建築としての特徴、建物を通して垣間見える文化や習俗を後世に伝えるため、建物が解体される前に満すみに遺された遊廓の記憶を写真集という形で記録することにしました(日本語と英語の2カ国語表記)。写真集は以下のウェブサイトで販売しておりますので、ご関心のある方はご確認ください。
写真集の主なコンテンツ 満すみの内観や外観、遺されていたもの写真と解説に加えて、以下の方々の話を談話形式でまとめております。
上記の写真はページの抜粋です。なお、表紙デザインや本文レイアウトはここで掲載しているものから変わる可能性があります。
1. 最後の色街「飛田新地」の記憶と継承 (飛田新地料理組合組合長 徳山邦浩氏)
2. 飛田遊廓は「短時間」「安価」「直接的」な性売買の先駆け (大阪市立大学大学院文学研究科 日本史学専修教授 佐賀朝氏)
3. 飛田遊廓は江戸遊廓に対するオマージュ (建築史家 橋爪紳也氏)
4. セックスワークの「是非論」そのものに違和感 (ノンフィクションライター 井上理津子氏)
5. 遺すということ (作家・ジャーナリスト 金田信一郎氏)
※144ページ、220x330mm、ソフトカバー、タイトル金箔押し、フルカラーオフセット+特色
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株式会社蛙企画
編集者・ジャーナリストの篠原匡が設立した会社で、ルポルタージュやドキュメンタリーの制作、編集支援、広報戦略支援などを気の向くままに手がけています。 篠原は、1999年に日経BPに入社した後、日経ビジネス記者、日経ビジネスクロスメディア編集長、日経ビジネスニューヨーク支局長、日経ビジネス副編集長を経て、2020年4月に編集者兼ジャーナリストとして独立しました。人物を通して社会、経済、政治の交点を描くのがモットー。著書に『腹八分の資本主義』(新潮新書、2009年)、『おまんのモノサシ持ちや!』(日経新聞出版社、2010年)、『神山プロジェクト』(日経BP、2014年)、『ヤフーとその仲間たちのすごい研修』(日経BP、2015年)、『グローバル資本主義vsアメリカ人』(日経BP、2020年)などがあります。